28日12:45Vancouver発、成田へ
JL017便、成田行きB747機内
お昼の機内食、お蕎麦が付いてます。
機内食、妻のです。
今、釧路沖、そろそろ日本です。
あと1時間12分で成田着です。
2009年7月20日月曜日
28日、Vancouverを発ちます
27日、Vancouverで
6月27日、美術館他、市内を歩きました。
美術館のレストラン側入り口です。
中庭でランチです。
近くの、The Fairmont Hotel Vancouverです。
Victoria市の「The Mile Zero」記念碑のそばにも、テリー君のブロンズ像があります。
=The Mile Zero monument at the end of the Trans-Canada Highway in Victoria,B.C.=
美術館のレストラン側入り口です。
中庭でランチです。
Robson Sqr.です。
向こうに美術館が見えます。
オリンピックに向けて工事中です。
オリンピックに向けて工事中です。
地下街にU.B.Cもあります。
近くの、The Fairmont Hotel Vancouverです。
B.C.Place前にある、Terrance Stanley Fox君の記念碑です。
故テリー・フォックス君
1958年7月28日、マニトバ州ウイニペグで生まれ、バンクーバー近郊で育つ。サイモンフレーザー大学の学生で、バスケットボール部で活躍していた1977年、右ひざの痛みで医者にかかったところ、それが骨肉腫であることが判明。
骨肉腫で右足を切断した後、がん研究資金を募るために、1980年4月12日、ニューファンドランド州のセント・ジョンズから「希望のマラソン」(Marathon of Hope)を開始した。鉄のような固い意志で、北アメリカ大陸を横断してバンクーバー島のポートレンフリューを目指し、義足をつけて毎日フルマラソンと同じ42kmを走り続けた。目標は完走と100万ドルの募金を集めることだった。しかし143日目の9月1日5,373kmを走ったところで、癌の肺への転移のためオンタリオ州サンダーベイ付近でマラソンを断念し入院。1981年6月28日、テリーは22歳の若さでこの世を去った。
骨肉腫で右足を切断した後、がん研究資金を募るために、1980年4月12日、ニューファンドランド州のセント・ジョンズから「希望のマラソン」(Marathon of Hope)を開始した。鉄のような固い意志で、北アメリカ大陸を横断してバンクーバー島のポートレンフリューを目指し、義足をつけて毎日フルマラソンと同じ42kmを走り続けた。目標は完走と100万ドルの募金を集めることだった。しかし143日目の9月1日5,373kmを走ったところで、癌の肺への転移のためオンタリオ州サンダーベイ付近でマラソンを断念し入院。1981年6月28日、テリーは22歳の若さでこの世を去った。
(Wikipediaより抜粋)
Victoria市の「The Mile Zero」記念碑のそばにも、テリー君のブロンズ像があります。
=The Mile Zero monument at the end of the Trans-Canada Highway in Victoria,B.C.=
右側遠方に、The Lookout Towerが見えます。
左のドームは、G.M.Placeです。
26日、Vancouverです
25日、Vancouverです
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